AIの発展は目覚ましいものがあります。これからの人間の役割はどう変わっていくのか、ふと考えてみました。

動力がなかった時代、足の速さは“有利”だった

人類に動力がなかった頃。
足が速い人、持久力のある人は、それだけで生き残りやすく、有利でした。

ところが、エンジンが発明され、
自動車や電車という「道具」が社会に広がったことで、
体力に恵まれなかった人でも、同じ距離を、同じ速さで移動できるようになりました。

もはや、
「足が速いかどうか」そのものは、ビジネスや生活の中ではほとんど意味を持ちません。

重要なのは、
どれだけ速い車や電車を、どの場面で、どう使えるか
その一点です。


視力も同じだった

視力も同様です。
かつては、目が良いことは大きなアドバンテージでした。

しかし、メガネという道具が生まれ、
今では視力が悪くても、大学入試を含め、あらゆる場面で不利はありません。

双眼鏡、望遠レンズ、顕微鏡。
私たちはすでに、「人間の能力を超える視界」を当たり前のように手にしています。

ここでもやはり、
“素の能力”そのものは、ほとんど意味を失った
と言っても過言ではないでしょう。


AIは、これまでとは次元の違う「道具」

そして今、私たちはAIという道具を手にしました。

ニューラルネットワークを用いる現在のAIは、
理論上、将来は「人間ができることのほぼすべて」が可能になるとも言われています。

処理速度や処理量は、共に現時点で人間を大きく上回ります。

AIを道具として捉えた場合、たとえば製薬の世界では、
AIが新薬の候補物質を発見し、その成果に企業の特許が認められます。

ここで評価されているのは、
研究者個人の“素の頭の良さ”ではなく、
AIをどう設計し、どう使いこなしたかです。


私たちは「AIに勝つ必要はない」

ここで一度、改めて考えてみました。

人間は、
自動車に「速さ」で勝つ必要があるでしょうか。
電卓に「計算速度」で勝つ必要があるでしょうか。

答えは、明らかに「いいえ」です。

同じように、
人間がAIに勝つ必要はありません。

重要なのは、

AIとどう役割分担し、どう使いこなすか

その一点です。

この視点に立つと、
従来の大学入試のような「正解を早く、正確に出す」ことを中心とした教育は、
どこかズレ始めているようにも感じます。


AI時代に人間に残される役割

では、AI利用が前提となるこれからの時代、
人間に必要なものは何なのでしょうか。


①「考える力」よりも「問いを立てる力」

正解を出す。
情報を集める。
文章を書く。

これらは、すでにAIの得意分野です。

人間に残るのは、

  • 何を問いとして設定するのか
  • どの方向に進むのか
  • そもそも、何を目指すのか

「問い」や「目的」そのものは、データから自動生成されません。

ここは、人間の仕事です。


② 意味・価値・文脈をつくる力

AIは最適解を出すのは得意ですが、

  • それが「なぜ大切なのか」
  • 誰にとって意味があるのか
  • 人生や社会の中で、どう位置づけるのか

こうした意味づけは、人間にしかできません。

技術の進歩を、
「便利」で終わらせるのか、
「幸せ」につなげられるのか。

その分かれ道に立つのが、人間です。


③ 人と人をつなぐ力(感情・共感・信頼)

AIは感情を“それらしく”表現できます。
けれど、

  • 本当の痛みへの共感
  • 信頼関係の積み重ね
  • 最後に責任を引き受ける覚悟

これは、どうしても人間にしかできません。


「賢さ」よりも「本質を見抜く力」

AI時代に求められるのは、
知識量でも、処理能力でもなく、

物事の本質を見極め、
それを相手に伝えるコミュニケーション能力

なのだと思います。

AIという優れた道具を前にして、
私たちはようやく、人間らしい役割に立ち返るのかもしれません。

どんな問いを立てるのか。
何を大切にしたいのか。
そして、その思いを、どう言葉にするのか。

その静かな問いかけこそが、
AI時代を生きる私たちの「軸」になる――
そんな気がしています。